「それじゃ、元気でな」
門の前は頭の上に耳の生えた家族4人いた。
今夜の夕食はリンカとコンコが二人で用意したもので、それはもう豪勢なものだった。獣人族といっても彼らは肉が好物というわけではなく、穀物が主な主食である。特にコンタはここの地方の名産である
小麦を使って作られるスパゲッティーというのが大好物だ。だから当然それが出た。母親の郷土料理である
う
ど
ん
――
あ
ぶ
ら
あ
げ
が添えてあるもの――も負けずと大好きだが、よく食べるといえばやっぱりパスタ料理だろう。ケーキも本当においしかったしこれで満足できないなんて人がいたらカシムに殴られることは確実であろう。そんなこんなで家族の夕食は楽しく過ごすことができた。
「コンタ。たまには、手紙を書いてね」
「うん」
リンカはコンタにやさしく問いかけると、彼はそれにうなずいた。
「もし途中で近くによることがあったら帰ってきて旅の話し聞かせてね」
コンコは無邪気にコロコロ笑っている。
「わかったよ」
コンタもやさしいリンカ譲りの笑顔を見せる。そのときすぐカシムに呼ばれ顔を彼に向けたのでコンコの表情の変化に気がつかなかった。
「なに、父さん?」
「お前に誕生日プレゼントを渡してなかったな」
「プレゼント?」
「ああ、というよりお前に持っていってほしいんだ」
「なに?」
「これだ」
と、カシムはそれだけ言うと、おもむろに耳についている銀色のリングを取ってコンタの耳に取り付ける。
「これ?」耳につけられたリングをさわってみる。
「かっこいいだろ? どれくらい前からかは分からんが、何でもご先祖様のものらしいぞ?」
カシムはリングが取れたほうの耳をほぐすようにピコピコと動かしている。
「そんなもの持ってけないよぉ」
あわててコンタは耳からとろうとする。
「ああ、いいんだ。父さんが持っていても……というか、それはお守りなんだ」
「お守り?」
「そう、息子が旅立つときに持たせなさいってな」
「へぇ〜」
「だからそれ、丸いんだ」コクリとカシムは何か含みがあるようにうなずいた。
「丸い?」コンタは丸いのがお守りに何の関係があるんだろう?と首をかしげている。
「それって……もしかして、ご縁がありますようにってこと?」
コンコが横から思いついたように言葉を発する。
「お? よく分かったなぁ。そ、ご円(えん)がありますようにってこと」
風が吹いたわけでもないのにヒュ〜〜〜〜〜っとまるで温度が10度は下がったんじゃないかと思うほど彼ら二人の身体に寒気が走った。
ブルリ
「?」
リンカだけがそのことに気づいている様子はなかった。微塵もね。
「べ、別に父さんが考えたんじゃないんだぞ?リングは二人が見ているとおり昔から丸かったんだ」
まるで言い訳するような口癖だ。そこで、
「パパ……老けたね」
グサリ……
カシムはハートを一突きされ、うなだれる。さすがに、これは効いたらしい。
「わ、分かった。ボク、これ大事にするよ」
父親のキズを癒そうと取り繕うようにコンタは言葉を出す。耳につけたリングはどうやら重く、動きづらそうなので、とりあえず彼は腕にはめることにした。
「パパの駄洒落って全っ然面白くないよね」
……彼、カシムは撃沈しました。
「じゃ、じゃあボク、そろそろ行くね」
「はい、いってらっしゃい」
コンコはさすがにまずかったのか、いじけているカシムをポムポムと肩をたたきながら慰め、リンカだけが送り出そうとしていた。
そして、コンタは早くここの場を逃げ出したいのか早々に出て行こうとすると、
「元気でね」
「風邪……引くなよ」
と、残りの二人もかろうじて彼を送り出す。
カチャカチャ
カシムは二階で普段手に触れることもない本を読み――読むというより、文字という文字をただ目で流している感じ――、リンカとコンコは二人で食器を洗っていた。
いつもこの中には水の流れる音、食器同士のこすれる音、まじわす会話などがリズムには乗ってはいないものの、なんとなく楽しく、なんとなく暖かくさせてしまう演奏が奏でられるはずなのに今日は言葉(ひとつのパート)だけが一切、聴こえてくることはなく、命を宿していない食器たちの音だけが低く、そして高く、バランスの取れない演奏を奏でていた。今日はこの前奏だけが長すぎるほど長く流れ、もしかしたらこのまま終わってしまうのではないかと思わずにはいられなかった。
「あの子は普段から静かなのに居なくなるだけで今夜はずいぶんと静かになるのね」
最初に口を開いたのはリンカだった。
「………」
コンコはただ無言で左手にふきんを持ち、皿を拭いている。
「確か、あの人が言うには旅立つはじめの夜は夜が明けるまでまっすぐ自分が決めた方角に走っていくといっていたわ」
「………」
「どこまで行ったかしら?」
リンカはお皿を洗いながら正面にある窓からみえる少し欠けた月を時々見て、楽しそうに思いを馳せている。そして何よりそういう風に見せているのは、表情から窺えるのもさることながら、程よくまかれたゼンマイ式のオルゴールから流れ出てくる音のような声で唄っているのがたまらなくそう見せるのだ。
最後の皿をコンコに渡した後、コンコは初めて言葉を発した。
「………ど……して?」
「ん?」
しかしそれは消え入るほど小さくリンカにはポツリポツリとしか聞き取ることができなかった。
彼女は食器類をすべて洗い終わったので、簡単に台所の周りを水で洗い流して、タオルで手を拭いている。そこでコンコはもう一度、今度はリンカにも聞こえるくらいの声で問いかける。
「どうして?」
彼女の声は少し震えていて何かを必死にこらえているようだ。リンカはコンコの表情を窺おうとするが、彼女は顔を下に向けているので髪の毛で表情は窺えることはできなかった。そして最後の一枚の皿を拭く手もとめてしまい、身体も小さく震わしていた。リンカは彼女の表情を見なくても、今は手に取るようにコンコの気持ちを理解することができた。多分それは事情を知っているものならば誰であろうとも彼女の気持ちを理解することができるであろう。
「コン……」
リンカはコンコをそっと抱こうとするが、そのまえに、
「お風呂に入ってくる」
それだけ言って、最後のお皿を棚に戻しながら台所から駆けていった。
コンコもまた自分がリンカから受ける行為を無意識のうちに理解していたらしく、彼女はリンカの抱擁から逃げるような行動を起こした。
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