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 コンタ・ロスノフスキは木のてっぺんで気持ちよさそうに目蓋を閉じて涼んでいる。
 特に夜で、まるで星と自分だけしかいないような透き通った空、さらにこの空に「これこそ本当のまん丸だ」と、思えるような満月が出てればこれ以上に気分のいいものはない。下を見ると緑色の森のじゅうたんが、風に吹かれて、今にも空を飛んでこの無限に広がる夜空に姿を消して永遠の旅に出て行ってしまいそうに錯覚させる。誰を乗せるというわけでもなく。
 "ナナメ木の木"はいきり立った崖に斜めに生えている木だ、この木の本当の名前は知らないのでコンタはこう呼んでいる。
 こんないい場所みんなにすぐ見つけられてとられてしまいそうなのだがここを利用するのはコンタ・ロスノフスキ本人とその妹だけだ、ほかの人と取り合いになって喧嘩したこのなどまずなかった。
 ここからでも見えるのだが、向こうへちょっと行ったとこに村がある。村があるってことは当然、ヒトがいる。そんでもってこっから見えるのだから向こうからも当然、見つけられてしまう。
 なのにだれもここにこない、大人なら「子供じゃないんだから。」と、登らないのは分かる。木登りなんてほんとに子供しかやらないのだから。
 んじゃあどうして好奇心の塊である子供たちはここに来ないのか。
 簡単だ、いたって簡単だ。
 前にも書いたとおり、この"ナナメ木の木"はいきり立ったがけに斜めに生えている。どれくらいいきり立っているかというと、村から見て爪楊枝のごとくいきり立っている。爪楊枝(つまようじ)。口の中の掃除に使う、千年前も千年後も進化を遂げそうにないあの爪楊枝だ。誰が見ても何も感じないただの道具だが、あれをアリの視点から見たらどうだろう。登りたいと思うだろうか。まあまず考えて登ろうという気にはならないだろう。それにこの木には登らないようにと村の人たちは口をすっぱくさせて子供たちに言い聞かせている。それほど周りから見て危なそうにいきり立って見えるのだ。しかしコンタたち二人にとっては登れないと逆に恥ずかしいので二人にとってこの木は最初にやらなくてはならない試練――コンタが登れるようになったのはここ最近のことだが――といっていいだろう。
 何故コンタたちにはできて当然でなければならないのか?それは、彼らと村の人たちとは決定的で根本的に違うところがあるからだ。
 そう、彼らは獣人なのだ。


 獣人族。それはヒトとは違う、進化の過程が違うもうひとつの人類。 簡単に言うと、サルから進化したのはヒト、それ以外(特に陸で生息する四足の動物)から進化したのが獣人なのだ。でもこれは本当に簡単に表現したもので、どっちかというと例外に近い、それはどういうことかというと、正直言ってよく分かっていない。人種によってはできないことできることがあり、あっちでは通じるのにこっちじゃ通じない。
 つまり、この世界は一体どういう世界で、何が成り立って何が成り立たないのかはっきりしない世界なのだ。
 要約すると、なんだかよく分からないが存在しちゃってる世界なのだ。
 コンタに言わせると「個人的意見としては、何とか今まで生きているのでまあ良し!」って感じだ。
 「ご飯はおいしいし、季節の変わり目は面白いし、お風呂も気持ちいし、あっ、もちろん水浴びたって冷たくてなんともいえない、忘れちゃいけないのがなんといっても寝ることだよねぇ、ボクは寝るのが大好きなんだよぉ……」
 はっ、話を元に戻しましょう。
 つまり個人的には、このままでいいということらしかった。
 なのに、ある人物が昔からの風習だからといって無理やり平和な日常を変えようとしているらしい。
 そのせいで彼にとってこれ以上気分のいいものはない夜空、星、満月なのに、今日は全然全くよくなく、すべては彼が何をしても来てしまう明日という日を祝っているようだった。
「しかたないよね、なんといっても明日はボクの十五才の誕生日なんだから。うん、しかたない」
 自己完結したのか、しばしの沈黙の後。
「全然しかたがなくないよぉ」
 完結してないようだった。




CHAPTER ONE
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十五の息子





 ザワザワ
 葉に息吹を与えるように風が吹いている、ひとつの木に風が吹いているのであればそれは、この表現があてはまるだろう。
 でも、まわりを木で囲まれているのであれば、そう、森の中にいればこういう表現もいえるのではないか。

  『森が風を起こしている』と。 

 いつもは気持ちいい朝なのにコンタ・ロスノフスキにとって今日は憂鬱以外の何者でもない朝なのだ。しかしそんなこと考えてる暇ではない、もし気を抜こうものなら、ただではすまない。
 ザワザワザワ
 神経を研ぎ澄ましているのに気配を感じない、もしかしたらもう終わっているのではないかと思う。いや、そんなはずはない、気配を感じないといっても、まるで、まったくというわけじゃないのだから。
 風が、やんだ。
「…………来る」
 ザザァァァァァァ
 木と風が起こす音が彼の集中力をかき乱し、せっかく掴まえそうだった細く糸のような気配をもう少しというところで逃がしてしまった。
 逃がしてしまった。というのは彼が自分に言い聞かせる言い訳に過ぎない。
 唯一の手がかり、解決への鍵、最後の手段、これらを断たれてしまったとき人は、平静や落ち着きを保っていられるだろうか。多分、よほどの頭の回転が速く、それを行動に起こせる決断力、そしてなおかつ自信と『実』にできる能力。最低でもこれらを兼ねそろえていなければ平静は保っていられないと確信している。彼はまだ自分のことを完璧に理解してはいないらしいが、これらを何一つ兼ねそろえてはいない自信はあるので、当然のごとく取り乱した。
 そして、取り乱した後、身体の下、足の裏からこみ上げ、かき乱すのは腹ではなく胸なのに吐き気を起こしそうになる。しかし、そのこみ上げてくるものが口から出てくれたほうがどれだけ、どれだけよかっただろう。それはのどを通り抜け脳に達し、そこから身体のすべての自由を奪う。そして彼はそれを数え切れぬほど経験し、克服したはずだった。
 毎日それを経験しても克服したはず(,,,,)だった。そう、克服した(,,)のではない。『克服』や『慣れる』などでは決して拭い去れないもの。    

"恐怖"

 もしこれを、「克服したよ」或いは、「慣れたよ」「そんなものに駆られたことはない」という人間がいたのなら、それは多分、駆られる前に逃げたのだ、逃げるしかないのだ。恐怖に駆られそれを克服した人間などいるはずがない。しかし駆られたとしても逃げる(すべ)を心得ていれば克服できなくても立ち直ることはできる。
 彼は当然、逃げた。恐怖に駆られ、身体すべての自由を奪われる前に。 彼にとっては、恐怖に駆られている時間さえ与えはもらいないんだから。
 コンタの目の前に一枚の葉が掠めたと同時に、それは来た。
 取り乱してはいたものの向こうから近づいてくれば、それなりに感じるものはある。落ち着きを先ほどよりは取り戻せないとしてもゆとりを持つことはできた。
 一撃。
 最初の一撃で勝敗が決まるといっても過言ではない。かといってコンタが一撃でやられるわけでもない。ここで決まるのは精神的なものだ。くらってしまえばもう恐怖から逃れられない、しかしここをかわす、あるいは受けるなどしてしまえば、ただでさえ勝ち目のない戦いでも、わずかに勝機を見出すことができる。だがそれは向こうにも有利になるかならないかのものでもあるので、確実にいれてこようとするだろう。
 向こうの右拳が掠めた葉にあわせるようにコンタの顔面を狙ってくる。
「……っく」
 寸でのとこで彼は、相手の右拳の手首に自分の左手の甲で右から押さえつけ受け流し、同時に左足を踏み込み、体ごと重心を右に移動させる。左手を返し相手の右手首をつかみ右足を前へ、相手の勢いを利用し、両手でつかみ足を広げ身をかがめて重心を下げ背中から投げる。が、相手はいたって冷静で、口元を少し緩める。そしてあせる様子もなくコンタの尻尾(しっぽ)をつかむ。   
 つかむったらつかむ。
 そりゃあもうムギュっと。
 思い切りね。
 コンタは当然そんなことも知らず、これでもかってほど遠くに投げようとする。
 投げるったら投げる。
 そりゃあもうエイッって。
 思い切りね。
 投げる力、つかむ力、二つのベクトルがコンタにかかる。『第五回トカゲのしっぽ選手権』の始まりって感じだ。今のところ三勝一敗(どっちがどっちかは省略)という結果だ。
 今回はなんと、均衡を保った。
 保ったものの。
「………」
 彼の動きが止まった。微動だにしなかった。ピクリとも動かなかった。しかしそれも一瞬のことでビビビと全身が震えだす。まるで電撃が走ったように。
 そして………。
「いった〜〜〜〜〜〜〜〜」と叫び声を上げる
 そう、どっちがどうであろうと痛いということに変わりはなかった


「お〜〜、ちぎれなかったか、今回も千切れるかと思ったのに」
 感心した表情で牙をちらりと出し、座っているコンタを眺めている人物、何を隠そう彼はカシム・ロスノフスキ、コンタの父親で自称"師匠"だ。身長はすらりと高く、髪は彼の身長ほどでストレート、色はシルバー。顔は小さく、目は二重であろうよく見える瞳は赤みがかったオレンジ、瞳孔は黒い。耳は頭から勢いよくピョコンと突き出し、しっぽも立派に三本(,,)生えている。獣人の特徴は何といっても身体つきで、その身体、普段はヒトとなんら区別することはできず、できるといえば耳かしっぽくらいだ。ヒゲなどもある。別にこれらも目立たなくすることができるのだが、そうするとまったくヒトと区別することができない。いつからヒトと獣人族を見分けるようになったのかは定かではないが、始まりとして最も有力なのは、昔、ヒトの姿をしているのに、突然ヒト並はずれた行動を起こすと、周りのヒトがそりゃあもう驚いたそうだ、そういうことを楽しんでいる獣人は今もいるが、彼らのほとんどはしっぽや耳などで見分けがつくようにして暮らしている。話し外れたので元に戻そう。獣人は無意識のうちにといっていい、そうやって区別をしている。ほかにも彼らが力――ヒトではおそらく出せそうにないすごい力――を出す際、しっぽ等のほかにも身体は(けもの)に近くなる変化を表す。それは彼らが想像もつかない大昔の名残である証拠で、まるで着込んだように身体に毛が生える。カシム等にはあたらないが種族によっては顔つきも変化してしまい、より獣らしく、狼のように鼻はとがり牙をむき出したりもする。ヒトと獣人族はこれらの状態のことを"アレイジ(本能)"と呼んでいる。アレイジ(その)状態であるカシムは今年で三十八にもなるのに身体に衰えは見えず、脂肪もまったくついてない。まあ、最近は――見分けはつかないが、彼にはわかるという――白髪が目立ってきていることが悩みの種だが、同い年の人から見れば『うそだぁ』ということ間違いなしだ。手足の爪も『つかんだらもうはなさいぞ』といわんばかりにカーブを描いている。
「も〜、バカ! 実の父親が自分の息子のしっぽを千切ろうとしないでよ!」と、おしりをさすっている子供。
 彼の息子、コンタ・ロスノフスキ。身長はまだ伸び盛りで父親より一回りも二回りも小さい。髪は短く肩にもかからず、色は母親の受け継いでいるらしくシルバーをベースにちょっぴり赤みがかりブロンドに近い。体格はいたって普通、あえて付け加えるなら、少しほっそりしているところだろうか。瞳の色はどうかというと、父親カシムに似たらしいが、それ以前に彼は糸目で、目の色どころか開いているのかでさえ定かではない。こちらも獣人族であるからして手足は父親そっくりだ。しっぽは一本である。
 バシッ
「イタッ!」
「父親にバカとは何事か、それと私のことは師匠と呼べえぃ」
 コンタはあきれて物も言えない様子だった。
 そんなことは歯牙にもかけず。
「それにしても……コンタぁ、お前ついに今日まで開眼(かいがん)増尾(ぞうび)できなかったなぁ。父さんなんか十歳の時にはしっぽは二つにできてたゾ」
 カシムもあきれていた。
「才能がないんだよ」
 決め付けたように呟いた。
「父さ〜…じゃなかった。師しょ〜〜うチョ〜〜ップ!」
 ベシッ
「…ッタ、な、何でぶつの? それに師匠チョップって………なに?」とダブル疑問符を投げつけた。するとゆっくりと腕を組んでコンタのように目を細くし、ムンってふんぞり返った。
「才能がないというのは、もうこれ以上どうすることもできないほど一生懸命やって、それでもだめなときにいうものだ。才能がないなんて、結果を急ぐものじゃないぞ」
 完璧に師匠になりきっているらしかった。
「でも、半年間がんばったけど、無理だったんだよ? 才能云々じゃなかったんなら、きっと母さんのほうを色濃く受け継いだんだよ」
 と、できないのを悔やむのではなく、それが当然のように主張している。
「そうだよ、そうに違いないよ」
 どうにかそれで父親を納得させたいところなのだ。コンタにとって、そうなれば今日も明日も明後日も、そしてこれからもずっと彼の平和は保たれる。だからカシムにはあきらめてほしい、なんとしても。
「う〜む」
 今度は腕を組みながら目蓋を閉じ、眉間にしわを寄せる。
「ね? ね?」
 最後の一押しだ。
「う〜む」
 カシムは考え込む。
『本当にそうか? ここ一年、半年は基礎体力を鍛え、もう半年は開眼増尾を目的にトレーニングをしてきた。一応残す所はそれだけだ。しかし半年やってもそれができないとなると……』
 ちらりと片目で自分の息子を見る。
 目からは判断がつけられないが、明らかにあきらめる気満々だ。
「うーむ」
『成長ぶりはどうだったか。一年鍛えてわかったのが、コイツは体力的にはイイ線はいったものの才能は自分の子とは思えないほどない。やっぱり違うのか? どっちかっていうとコンコのほうが才能……あるもんなぁ。なんてったってあいつは八歳で二本に増尾してんだから。うん、目を見張るものがある。コイツのトレーニングを一緒にやって狐火も出せるようになったんだか……ら………ん?』
ふと、肝心なことに気がついたらしく、ぼそっと呟く。
「狐火」
「へ?」
 一瞬何を言ったのか分からない様子でコンタは情けない声を上げた。
「コンタ、お前、狐火出せるよな」
「う、うん。父さんやコンコみたいにあんなゴオオオオオとは出せないけど、握り拳一個分の小さいやつを一瞬だけ。それがいったい………あっ!」
 こちらも気がつき、そしてうなだれた。
「そう、リンは狐火を出せない種族なんだ。ということは……わかったな」
 諭すように牙を出し笑う。
「う〜〜」
 何も言い返せなかった。カシムは気を取り直して
「ンじゃあ、納得できたところでもう一試合………」やろうか、と言おうとする瞬間、そして最後の一押しも無駄に終わったコンタがおしりをさすりながら腰を上げようとしたそのとき。
「パパ、お兄ちゃん、ママがお昼だって」
 突然と二人の間にもうひとり現れた。
「「うお(わ)っ」」
 カシムとコンタはこの突然の出来事に驚きしりもちをつく。心臓なんてバクバクだ。耳もねてしまっている。
「二人とも、どしたの?」
 その起こした張本人は頭に疑問符を浮かべている。 
「コ、コンコ!いきなり現れるんじゃない。びっくりするじゃないか」
「アハハ。そんなつもりじゃなかったんだけど………ごめんね」
 口ではこう言っているのだがその表情からはぜんぜん反省の色が見えない。笑っているのだから間違いないだろう。
 彼女はしっかりしてはいるものの、その性格は父親やそっくりで明るく元気、行動性はカシムをもしのぎ、彼も手を焼いてしまうほどだ。憂鬱や陰鬱という言葉は彼女の辞書にはかかれてはいないのだろう。とにかく明るい、家族の中で太陽が一番よく似合うとすれば彼女以外にはありえない。まさに太陽の申し子だ。
 彼女の名前はコンコ・ロスノフスキ。カシムの娘でコンタの四つ下の妹だ。身長はコンタよりわずかに小さい。が、周りから見ればそんなに変わらない。だがコンタにしてみると妹に身長を抜かれるのはなんとなく嫌なので重要なことらしいが。髪は動くのに邪魔なのでコンタよりは長いものの、さっぱりと短いショートヘアー、癖っ毛なのか毛先がすこし外にはねている。色は母親譲りの濃い小麦色(コンタと比べるとこちらのほうがブロンドらしい)、顔はふっくらと子供っぽいが、目はパチリと二重でクリクリとした瞳は黒く透き通っている。体は発展途上で、もうしっかりと出るところは出はじめ、締まるとこは締まっている。これは毎日森を駆け巡り運動している賜物だろう。しっぽは今のところ(,,,,,)一本だ。
 二人とも立ち上がり、カシムが話を切り出す。
「何、もうそんな時間か……じゃあ続きは午後にするか」
「はぁ〜〜〜」
「はぁ〜〜〜、じゃない。今日ここを出るんだぞ? 最後の仕上げだ。午後は軽めにするから」
「そうじゃなくて、本当にうちを出なきゃだめなの?」
 コンタは顔をしかめる。
「そう嫌な顔するな。これは、代々わが種族の男子はこういう決まりなんだから」
「誰がそんなこと決めたのさ」
 疑問を投げかけると同時に、父親、そして自分の生まれた血をさも呪っているように少し力を込めカシムを見上げる。
 しかし困った顔はまったくうかがえず
「さあ?」
 と、にこやかにその質問に応ずる。
 それも息子のほうが逆に困った顔をして情けない声を出してしまうほどに。
「へ?」
 さらにそんな反応にはものともせず、
「さあ? 父さんにもそれはわからん」と、分からなくても別に困らんだろうという表情。
「だったらこんなことわざわざ………」
 やらなくても、と声を張り上げようとするが、カシムがそれをさえぎる。
「誰が決めたとかは分からないが、とにかくそういう決まりなんだ、父さんも、父さんの父さんも、そしてコンタも父さんもあったことはないが父さんのおじいさんも、それをやってきたんだ」
 さらに言葉をつなげる。
「確かに、はじめてその話を聞いたときは父さんも怖くて家を出るのをためらったが、そんなことより自分の心のうちに秘める好奇心には勝てなくてなぁ。それに加えて子供だったから、とめることができなかった。結局当日になると胸を弾ませたものだ」
 昔のことを思い出し、「あの頃の自分は若かったなぁ」と感慨深くなっている。そして自分の息子を横目で見ると幾分かトーンを下げ、困った顔で
「まあ、うちの息子に限っては、それは当てはまらなかったが」
 と答え、苦笑する。
「………」
 コンタは顔を下に向け、黙ったままだ。
 カシムは息子のことなどお見通しのようで、出し抜けに言った
「子供に親は選べない」
「!」
 図星だ。
「あきらめたと思……」
 だが、話はそこで打ち切られる。
「ふう」
 ぐににぃ
「「ひたたたたた」」
 一息ついた後、もう一人いることを忘れないでほしいといわんばかりにコンコは二人の(ほほ)をひっぱる。
「ちょっとぉ、何辛気臭い顔してるのぉ?」  そして、パッと手をはなす。
「し、辛気臭い顔をしてるのはコイツなんだからなにもパパまでつねらなくてもいいだろう?」
 カシムは頬をさすっている。
 すると、コンコは微笑(えみ)で返したのもつかの間、ジト目で、
「私を無視した罰!」と、それだけ言うと、くるりと向きをかえる。こちらはため息混じりに言う。
「お兄ちゃんも、だよ」
「え?」
 頬をさすりながら妹の発言に反応するはコンタ。ちなみに頬をつねられた二人はチロリと目頭に涙を浮かべている。油断していたところを不意につかれたので相当に痛かったらしい。
 「もう」ともう一度ため息を吐き、息を吸って、「お兄ちゃんも、もう決まったことなんだからグチグチ言わない」ぴしゃりと言い放つ。しかも少し声も荒げている。
「それにそんなに嫌なら意地でもここにいればいいじゃない」
「え、いや、そ…」
 兄に言い返す隙を与えず。 
「まったく、そういうところはいつもはっきりしないんだから。嫌なときだって嫌だ!っていえない、ほんとは違うのに否定もできない。このまえ、カイン君達と遊んでたときだって、窓ガラスを割ったのはお兄ちゃんじゃなかったのにぜんぜん否定もしないで怒られてたじゃない。「まあ……ね」とか言っちゃってさ。ほんとは嫌だったんじゃないの? それを言えずにじっと黙ったまま。……もっとちゃんとしっかりしてよ」
 まるで銃乱射だ止まることがない。カシムのときとは打って代わってコンコは感情をむき出しにしている。それは兄のためか自分のためか分からぬほどの勢いで訴えかけているようだった。
「………」父カシムは止めようとはせず黙ったままだ。コンコは声を荒げさらに言葉を紡ぐ。
「今度のは黙ってないにしても、もっとはっきり言わなくちゃ、お兄ちゃんの、」大きく息を吸い「お兄ちゃんの人生が懸かってるんだよ!」と叫ぶ。
 いくらか言いたいことを吐き出したのか落ち着いた様子が伺える。しかし息を整えたところでなおも、
「そんなんじゃ、そのうち……」
 と、続けようとするが、
「!」
 ポンとコンコの両肩をつかんだコンタがそれを(さえぎ)ろうとする。コンコは突然のことでなにが起こったのかわからなかったものの、静かになる。
「……え?」
 だんだんと落ち着き、そしてゆっくりと冷静さを取り戻す。どうやら勢いを止めることに成功したようだ。彼女は、
「え、あ、いや、ゴメ」
 自分が何を言ったのか気がついて謝ろうとするが、
「ゴメンな」
 彼は糸目の目をより細めて、申し訳ないような顔をして言葉をも遮る。
「え?」
 肩から手を離し、誰に言い聞かせるわけでもないが、言葉を吐き出す。
「分かった。ボク、はっきりさせるよ」
「え? う、うん」
 何をはっきりさせるのかは分からないが自分がそのきっかけを作ったことは間違いないので、とりあえずうなずいておく。
「そうだよな、今度ばかりはボクの人生が懸かってるんだよな」
 自分なりの答えを出そうと、意を決したようにコンタはくるりと、向きをカシムに向ける。
 そして今までの会話を黙って聞いていた彼はというと、娘の訴えであるこの発言は実際のところさして驚いてはいなかった。なぜなら彼女がこういう話をしだすことは以前から予測していたことで、昨日までなかったのだから、今日あることはほぼ間違いないと考えていた。


 一年前の私の息子、コンタは、「これは本当に自分の息子か?」と口に出してしまうほど(本当のところ毎日最低三回は口にしていたが)自分の息子らしくなかった。トレーニングをし始めた当時は仮病などを使って休もうとしたほどだ。私はそういう遠回しな嫌がられ方を最も嫌った――一番許せなかったのは自分に直接言わず、妻にそれを言わせたこと。――ので、引きずり出してでも無理やりトレーニングをさせた。最初はこのように内向的だったが、日を重ねるごとに見違えるような変化を見せた。あの"ナナメ木の木"に一週間とかからず、らくらくと登れるようになったし、今までは遊ぶ友達もなかなかできないほどだったが、それも解消された。まあ、術はここ一年ではあまり変化の兆しを見せなかったが…。なによりも、私や妹と無邪気に(たまにツッコミを入れたり)会話ができるようになるとは一年前ではまず考えられることはなかったであろう。さすがの娘のほうもそのめまぐるしい変化に驚いたらしく、はじめは戸惑った。何せ、たまにではあるものの私でさえ抑えることのできない元気な娘をしかりつけ収まらせたのだから。しかし彼女が戸惑ったのはほんとにはじめだけで、一日二日経つ頃には今まで以上に明るく元気になった(それから妹をとめることができるのは、彼だけだ)。私もコンコもコンタが明るくなったことはとても喜ばしいことで、嬉しかった。トレーニングにもそれは表れ始め、戦闘――特に肉弾戦――において開眼増尾もできない彼が二本である妹を追い抜き、三本である私と――力を加減してはいるものの――互角に近い戦いを見せることは、逆にすごいという言葉に尽きる。もし開眼増尾や術を(今日までそれを見せることはなかったが)、コツ、あるいは何らかのカタチで目覚めたとしたら、まず間違いなく私以上になるだろう。それほどの変化を(自分自身と妻は気がついてはいないようだが)自分の息子は見せた。そして今日という日――コンタがこの一年、あらゆる面でどれだけ成長したかを確認する日――に、この妹の発言を耳にした彼がどのような反応を示し、どのような答えを出すか、それが一番重要だった。もしかしたら、うちを出て行く決心がついたのかもしれないと思っていた。だが、いくら一年前とは比べものにならないほど成長したからといって彼が「嫌だ」というのは間違いだろう。だから私は内心「どんな答えを自分の息子は出すのか」とどきどきしていた。だが、もうひとつ、やけに落ち着いた面もあった。それは息子が初めてといっていい"自分の答え"を探し出したということだ。自分で答えを探し出したのだからそれがどんな(,,,)答えであろうと受け入れると私は決意していた。それは一年前の私では考えようともしなかったもの。私もこの一年で変わったのだろうと思わせるものだった。


 驚いてはいないものの、コンタが答えようとしたときはさすがに動揺していた。それは、こじ開けなければ確認もできない糸目の中に、カシムよりも赤く静かな深紅の瞳を、決意を見せると同時にうっすらだがはっきりと (のぞ) かせたとき最高潮に達した。
「父さん、ボク………」
 ザザァァァァ
 そこにいた二人だけが彼の決意を聞くことができた。それは周りに生えている木でさえ、その言葉は聴き取ることができず、ただ、自らが起こす葉のこすれあう音だけがせわしなく聞こえた。


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